清水寺 拝観料¥400- 075-551-1234
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北法相宗。清水の舞台で有名な東山の清水寺は、平安遷都以前に延鎮が開山、坂上田村麻呂が帰依し、堂宇を建立し本尊十一面千手観音像を安置しました。
本堂は平安時代の姿そのままで、やや曲線を描いた桧皮葺きの屋根が美しくそびえます。本尊の十一面千手千眼観音は33年に一度ご開帳される秘仏で、通常はお前立ち像を拝観できます。 |
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清水善光寺地蔵院善光寺堂 |
16世紀中頃に描かれた清水寺古図「清水寺まんだら」には、この場所に六地蔵の石仏が安置され、小堂が建つ。この小堂が地蔵院の前身と考えられる。また奥の院の南庭に建つ美しいお堂は、長野県善光寺の本尊を勧請した善光寺如来堂と思われる。
以来、観音信仰の盛行によって地蔵院に如意輪観音(鎌倉時代作)が祀られ、洛陽観音第10番札所として洛中洛外の尊拝を博し、堂正面に「洛陽第十番 如意輪観音 地蔵院」の額揚げている。(洛陽観音第11番は奥の院、第12番は本堂、第13番は朝倉堂、第14番は子安の塔である)
明治中期の境内整理によって善光寺如来堂を合併し「善光寺堂」を称してきた。
如意輪観音坐像を中心に、向かって右側に善光寺阿弥陀仏三尊像、左側に地蔵菩薩立像を安置。
現在の堂は昭和59年(1984)の改築である。
なお堂右手前の「首ふり地蔵」は、願い事のある方向に首をまわして拝めば願いが叶えられるといわれ、江渡時代以来、信仰を伝統している。 |
音羽山 清水寺
(清水寺駒札より)
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仁王門重要文化財 |
清水寺ので正門で室町時代後期の建立。美しい丹塗りの門で「赤門」とも呼ばれます。平成15年、解体修理され美しい赤い色が再現されました。祀られている仁王像は作者不明。京都では最大の大きさ。 |
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西門重要文化財 |
現在の建物は1633年再建のもの。
ここから見る西山の日没は美しく、極楽浄土を望むかのように感じられます。 |
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三重塔 |
三重の塔・五重の塔は仏舎利塔または舎利塔ともいわれ、お釈迦様のお骨を祀っています。お釈迦様のお骨を祀っているという事はお釈迦様のお墓ともいえるものです。
お釈迦様のお骨を祀っているのでお寺の中でも最も崇敬すべき所とされています。そのために高い建築物となったとされています。 |
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髄求堂 |
1735年の建立。衆生の願い、求めに随って、叶えてくれるという大功徳をもつ大随求菩薩(だいずいぐぼさつ)を本尊(秘仏)としてお祀りしています。また、縁結び、安産、子育ての神仏もお祀りしています。ここでは胎内めぐりを体験できます。 |
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経堂 |
経典を納めておく建築。経典はお寺では僧と共に重要な要素です。平安時代中期には一切経を所蔵し、全国から学問僧が集まる講堂がありましたが、現在の経堂は寛永の火災後の復興にあわせて教学の場として建立されました。堂内には釈迦三尊像をお祀りし、鏡天井に江戸時代の絵師・岡村信基筆の墨絵の円龍が描かれています。毎年2月15日の涅槃会は、ここで行われます。 |
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田村堂 |
清水寺を開山した延鎮上人、清水寺を創建した坂上田村麻呂、その妻の三好高子夫人、行叡を祀っています。 |
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本堂 |
音羽山の断崖に建つ清水寺の本堂。1633年徳川家光が再建した木造建築です。本尊の千手観音菩薩をお祀りしています。日本古来の伝統工法による丈夫な構造で、多くの参詣者で賑わう舞台を支えています。 |
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納経所 |
西国三十三所観音霊場の第16番札所になっています。 |
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阿弥陀堂 |
江戸時代初期の1631年の再建。浄土宗の開祖・法然上人が唱導した常行念仏が日本で最初に行われた場所であることから、法然上人二十五霊場第十三番札所として多くの参拝者が訪れます。本尊は阿弥陀如来。入母屋造り、檜皮葺の建築様式です。 |
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奥の院 |
「音羽の瀧」の真上に建ち、現在の建物は、本堂と同時期の1633年に再建されました。2017年に修復が完了しました。本堂と同様の懸造りの舞台があります。 |
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ぬれて観音 |
ひしゃくで観音様に水をかけると口元が微笑んでるように見えます。地元の方々の信仰が厚く、常に供花がたえません。 |
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子安の塔 |
子供の守り仏の子安観音を祀っています。
平安時代に、源義経の母常盤御前が京都を脱出する際に、赤子の牛若丸を抱いて道中の安全を祈願したそうです。 |
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音羽の滝 |
清水寺の開創の起源であり、寺名の由来となった瀧です。こんこんと流れ出る清水は古来「金色水」「延命水」と呼ばれ、清めの水として尊ばれてきました。3筋に分かれて落ちる清水を柄杓に汲み、六根清浄、所願成就を祈願します。 |
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成就院 |
応仁の乱の兵火によって焼失した清水寺を再興した願阿上人の住房として建てられたのが成就院の起源です。その後、清水寺の本願職として、伽藍整備や財政の維持管理などを担当してきました。「月の庭」として知られています。 |
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舌切茶屋 |
幕末の騒乱の頃、勤王の考えを持っていた清水寺住職の月照は佐幕派に狙われていました。月照の居場所を突き止めるために月照のしもべを拷問にかけましたが、白状する前に舌を嚙み切って自害しました。
後に清水寺が遺族のために茶屋を開かせました。 |
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